名詞の前の形容句

教師 「一寸考えると何でもないことが,実際やろうとすると非常にむつかしい」というのをドイツ語で言ってごらん。

生徒 実際言おうとすると非常にむつかしいですな。

教師 冗談は止して!

生徒 はいはい,zu Befehl !

  Was sehr einfach ist, wenn man etwas denkt ……

教師 待った!それじゃ,もう全然誤訳だ。

生徒 御厄ですか。困りましたな。どこがいけません。

教師 wenn man etwas denkt がいけない。まあせめて wenn man etwas überlegt とか…… darüber nachdenkt とか何と言ってもらいたいね。

生徒 言って上げましょう。wenn man etwas überlegt ……

教師 そしてそれがスッテンコロリと間違っている。こういう間違いははっきりしていて面白い。いわば手際のいい間違い方だ。水際立っている。冴えている。妙技神に入るというのがこの亊だ。

生徒 お世辞はもうその辺で沢山です。—– でも僕はかなり忠実に訳したつもりですがね。

教師 そういう忠実な訳が本屋の棚に沢山並んでいる。彼等はみんなその忠実な背皮を天日の前にさらしている。そして誤訳だらけだ。如何となれば忠実であるが故に。

生徒 じゃあ一たいどうすればいいんです。

教師 不忠実に訳したらいい。不忠実に訳したら正しい訳が出来上る。

生徒 それもあんまり極端……

教師 黙れ。「一寸考えると」という時の「一寸」と,「一寸考えればわかるのに」という時の「一寸」とは,同じ一寸でも一寸違う。いや大変違う。君の wenn man etwas überlegt は,「一寸考えればわかるのに,全然考えないからいけないんだ」といった様な時に使うので,「一寸考えると何でもない様だが」といった様な時にそんなものを使うと,むしろ意味が反対になってしまう。「相当深入りして」考えるような気がする。問題はむしろその反対だ。むしろ「少しも考えないと」と言いたいのだ。

生徒 何だか非常にややこしくなってきましたね。

教師 語学は要するに常識常感の問題だ,これ位のことが感じでわからないようでは駄目だね。ドイツ語の etwas は必ず肯定になる。「多少」ということだ。「不充分に」という事ではない。—– では僕が訂正しよう。

   wenn man nicht recht darüber nachdenkt

生徒 ははあ……「しっかり考えないと」なんて事になって来るんですかねえ。

教師 だってその意味じゃないか。まさか君が言ったように「相当よく考えて見ると」なんて意味ではないだろう!

生徒 ではもう一度やり直します。

  Was ganz einfach scheint, wenn man nicht recht darüber nachdenkt, wird ganz schwer, wenn man es nun wirklich ausführen will.

教師 もうそれでおしまいか。

生徒 もうそれでおしまいかとは?

教師 あんまり長いから,まだ何か後へ続くのかと思ったのさ。

生徒 ご冗談でしょう。

教師 そんなに長くしなくったって,もっと何とか簡潔な方法はないかねえ。

生徒 先生ならどうなさいます。

教師 必ずしも日本語の通りにはならんかも知れんが —–

Das scheinber so Einfache ist in Wirklichkeit so schwer.

生徒 なんのことだ。そんなのなら僕にだって出来らあ。

教師 と Kolumbus が卵を立てるのを見た時に人々が叫んだと小学校の読本に書いてある。これを称して Kolumbus’ Ei, das Ei des Kolumbus (コロムブスの卵)という。

生徒 ヘーえ。コロムブスの卵というのは,大陸発見を夢想する少年の事かと思ったら,これも違いましたね。

教師 あきれた男だなあ。

生徒 一寸お伺いしますが,今の das scheinbar so Einfache といういい方は,少し固くはないでしょうか?

教師 どうして。

生徒 だって,冠詞と名詞との間へ色んなものを詰め込むのは,論文体のものに限るのじゃありませんか?

教師 誰がそんなことを言った。

生徒 僕がそう思ったのです。

教師 そんなことを思っちゃいかん。勿論,下手に詰め込めば固くもなるが,口調よく詰めこむ分には何の差支えもない。むしろそれがドイツ語の特徴だ。—– では,これから,同じ文章を,関係代名詞を用いたり,冠詞と名詞の間へ形容句を入れたりして作ってみよう。まず第一に,「十二人の子供を持つ幸福な母」というのを関係文で言って御覧。

生徒 Die glückliche Mutter, die zweizhen Kinder hat.

教師 12 を zweizhen とは実にあきれたもんだね。 13 以上は dreizehn, vierzehn, fünfzehn といったような構造で進んで行くが,11 と 12 だけは特別な言葉があるだろう。

生徒 こいつは知ってて間違いました。では,Die glückliche Mutter, die zwölf Kinder hat.

教師 Die Glückliche Frau, die Mutter von zwölf Kindern ist. とも言えるだろう。ではそれを関係代名詞を使わずに言ってみたまえ。

生徒 Die zwölf Kinder habende, glückliche Mutter.

教師 habende はすこぶるその何てえんだか兎に角非常にその……アレだね。

生徒 でも,それより言い方が無いと思いますが。

教師 無い。haben を使えば勿論それより以外に方法はない。「持つところの」はどうしても habend [英: having] だからね。けれども,出来ることなら,habende なんてのは止した方がいい。

生徒 では先生がおっしゃった Mutter von zwölf Kindern sein (十二人の子の母たり)という奴を使いましょう。

  Die Mutter von zwölf Kindern seiende, glückliche Frau.

教師 振るってるね。

生徒 振るってますか。

教師 振るってる。そんなに振るっちゃあいかん。seiende なんて話があるものか。haben と sein とはなるべくこう言う際には用いない事になっているのだ。ドイツ語並びにその習慣に反旗を掲げて断然抗争するつもりなら使い給え。文法上明らかに使えるような訳合わけあいにはなっているのだから。—– 文法には抵触しない。習慣に抵触するんだ。

生徒 じゃあどうします。

教師 もっと自由に考えて見給え。別に haben や sein に義理がある訳でもあるまいから。

生徒 わかりました!

  Die glückliche Mutter mit zwölf Kindern.

どうです。すらっとしているじゃありませんか!

教師 上出来だ。それなら九点やる。

生徒 アレッ。満点かと思ったら。

教師 満点はやれないよ。だって最初の約束を忘れてしまっているじゃないか。「十二人の子を持つ」を,母よりも前に置くという話だったろう?

生徒 そうでしたねえ。じゃ降参します。

教師 なにも君をいじめているわけじゃないから,謝らなくったっていいよ。少し困難だから僕が言おう。

  Die glückliche, mit zwölf Kindern gesegnete Mutter.

生徒 gesegnete というのは何の事です。

教師 「祝福された」「恵まれた」と言う事さ。こういう時にはこういう事を言うのだと思うより仕方がない。つまり十二人の餓鬼共を以て恵まれた,さ。日本語でも「子宝」というじゃないか。Kinder sind armer Leute Rechtum (子供は貧乏人の宝)とドイツの俚諺も言っている。

生徒 少いほど結構な宝ですね。—– それからもう一つ質問があります。先生の出された問題では「十二人の子を持つ幸福な母」と,「幸福」が後へ来ていますが,独文の方では Die glückliche, mit 12 Kindern gesegnete Mutter. と glücklich が前の方へ言ってますね。これも何かわけがあるのですか。

教師 ある。日本語の方では,「幸福なる十二人の子を持つ母」では,子供が幸福なのか母が幸福なのかわけが分らないから,必ず幸福を後へやる必要があるが,ドイツ語ではその心配がないから,前へやってもいいのだ。

生徒 でも,後へやってもいいのですか?

教師 それがまたその次の問題だが,こんどはドイツ語の習慣という奴を考慮に入れなければならない。こういう時,すなわち,長い形容句と,短かい一語の形容詞とが並立する際には,ドイツ語では日本語と反対に,短かい一語の形容詞の方を先に持って来るのが習慣だ。たとえば。

1.Ein hoher, mit Gewächsen aller Art bedeckter Fels.
色んな種類の植物でつつまれた高い岩。
2. Ein elegantes, lautlos dahingleitendes Auto.
音もなくスーッと彼方へ滑って行くスマートな自動車。
3. Die bekkante, in allen Apotheken der Groß stäte vorrätige Medizin.
大都会の何処の薬局にもある有名な薬。

生徒 先生,少し例がむつかしくて,急には呑み込めませんね。

教師 だって読者の中にはかなりドイツ語の出来る人もいるからね。

生徒 しかし初級雑誌はそんな人を相手にしなくったっていいでしょう。

教師 その手心がむつかしいんだよ。これでも隨分骨を折っているんだ。大学の教室とは一寸趣きがちがうからね。読者から受けた注意をかなり参考にしているんだから文句言いなさんな。—– 閑話休題。僕が今のべた語順の件は,勿論必ずしも墨守されはしない。短い形容詞が一番最後に来る事もある。けれども,どちらでも大して差支えはないといった様な際には,なるべくまあそういう風にした方がいいと言うのだ。Regel (規則)ではない。ましては Gesetz (法則)では尚更ない。単なる Rezept (処方)だ。

生徒 それで mit 12 Kinden gesegnete はわかりましたが,先生の御発案になる,例の Mutter von zwölf Kindern ですね。あいつを形容詞にして前につけるとすればどうなります。seiend を使ってはいけないとすると。

教師 前には付けられない。後へなら付けられる。

  Die glückliche Frau, Mutter von zwölf Kindern. (十二人の子供の母「たる」幸福な婦人)

生徒 出し抜けに,ドカッと付けてもいいのですか?

教師 そうだ,Apposition [アッポジツィーン](同格説明語)ということを聞いたことがあるだろう。つまり名詞を二つ並べるのだ。後のが前のの説明になる,その説明句は格が前のと同格になる,これを称して Apposition と言うのだ。たとえば米国大統領アイゼンハワー氏なら,Eisenhower, präsident der Vereinigten Staaten von Amerika. だ。—– どうだ解ったか。

生徒 大体わかりました。

教師 では最後にもう一つ作文。「半ダースの子宝に処せられたる可哀相なおやじ」というのを作ってごらん。

生徒 それは一たい全たい何ということです。

教師 読んで字の如く聞いて言葉の如しさ。Kinder sind Gottes Geißel (子供は天罰)だからね。

生徒 忘れました!

教師 忘れました奴があるか!

  Der unglückliche, zu einem halben Dutzend Kindern verurteilte Familienvater.